美しき人間の日々〜そのぬくもりに用があるBlog〜

意識高い系が本当に意識高い人間となるまでのBlogです。毎日を充実させるために書いていきます。/evernote/グルメ/音楽/断捨離/東京/福岡/生まれた所は関係ない! 本当に必要なスポットは、いつもそいつの目の前にある!

優秀な人間は環境に不満を言わない

僕はおめでたい性格だ。

仕事をしてても、疲れた日でも、
音楽を聞けば、ソコソコ元気になれる。

人と話せば、なんか元気になれる。

どんなに通勤時間が長くても、
その時間をどう有益に使うか?
を考える。

『優秀な人間は、環境に不満を言わない』

僕が大切にしている言葉の一つだけど、
この言葉が僕の性格を形成していると思う。

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人に合わせる人生は、辞めませんか?

f:id:steavejobs0814:20150818231258j:image会社との距離感。
人間関係での距離感。

社会人になり、人と人との距離感をスゴく意識するようになった。

前から、よそよそしいとは言われていたけど、さらによそよそしくなった。
(自分でも思うくらいに。)


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しかも、僕はそれが態度にハッキリと現れる。

お盆明けに会社の人たちとバーベキューをした。
本当に楽しくなかった。

お金や、時間を無駄にしてしまった、という感覚が根強く残っている。

本来であれば、このバーベキューには行かなかっただろう。

ただ、『誘われたら断らない』
をじぶんルールに課していたため、
今回は引き受けた。

これから、『会社の人とは、なあなあで付き合わない。』
ということをじぶんルールとしたい。

付き合っていても、他愛のない話や、
同期との比較や、待遇の話ばかりで、
つまらない。

一番イヤなことは、変えられない過去の話をいつまでも、いつまでも行うことだ。

この時間が、自分は大嫌いだ。

僕は他人の人生と付き合うほど、気長じゃない。
嫌なモンは、嫌。

後ろ振り返るヒマあったら、
今のこの瞬間に全力を尽くす。

不安な気持ちになるのであれば、
その不安をかき消すには、仕事に没頭することが一番だ。

休日を過ごす、何もかも忘れる、
たしかに必要なコトだ。

でも、根本の問題は、何も解決していない。

仕事の報酬は、仕事。
仕事でのミスは、自分の仕事でしかとりかえせない。

そのことを感じられない人とは、距離をおきたい。

有るを尽くす





『やらせる』のではなく、 『興味を持たせる』ために必要なコト。

公文式で、3〜6歳児を教えている方とゴハンを食べている時、教育について話した。

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どんな子供が伸びるの?
と質問すると、

『やっぱり素直な子供は伸びるよね。』

とのこと。

素直な子って、大人も、子供かかわらず、伸びる。

『なんでこれをやんないの!』
『これをやりなさい!』

と強く言ってしまうと、子供は興味をなくしてしまう。
(自分自身がそうだから、よくわかる)

僕は歴史が大好きだが、
両親から勉強をしなさい!
と強く言われたことは記憶にない。

部屋にあったマンガでわかる日本史を
毎日夜遅くまで見ていた。
だから、歴史のテストだけは、
常にクラスで1番だった。

学校では学ばない所、
戦国時代や、幕末、太平洋戦争のところは、小学生時代にほとんど覚えていた。

これは、誰に言われるでもなく、
自分自身で、勝手に、自発的に覚えたものだった。


『やらせる』という入り口ではなく、
『自分で興味を持った』ということが歴史が爆発的にできた要因だと思う。

興味をもつ➡︎好きになる➡︎結果がでる
➡︎さらに好きになる

というルーティンができれば、
勝手にデキるようになるのだ。

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自分が歴史がデキるようになったもう一つの要因


自分自身が歴史に興味を持ち、
勝手に勉強をするようになり、
テストでもいい点がとれた。

そこから、マンガでわかる日本史を見る回数が飛躍的に増えた。

しかし、もう一つ僕が日本史をデキるようになれたのには、要因があると考える。

両親の存在だ。

僕は小学生時代から、算数に苦手意識があった。

普通の親であれば、
得意な歴史ばかりやらず、算数や他の教科もやりなさい。

と言う所だが、僕の両親は、算数をやりなさい、とは言わなかった。

むしろ、僕が新しい知識として得た歴史のことをドヤ顔で話していると、
面倒くさがらず、共感し、僕との会話を楽しんでくれた。
(例えば、幕末の池田屋事件のことを、新選組の話と絡めながら話すと、両親は喜び、さらに、自分の歴史の考え方を指摘してくれた。)

ここで、そんなこと勉強せずに、算数をやれ!と言われていれば、ここまで歴史が伸びることはなかった。

『やれ!』と一方的に言うのではなく、
あとは見守るだけ。

見守ることは、辛い。
ついつい、口を出したくなる。

『我慢する』ということが、教育には必要である。




『あの上司とは合わない』と思った時、自分自身にもベクトルを向けて考えてみよう。

『自分は上司に嫌われてるな』

入社当時、そう感じる時が何度もあった。

そんなことを考えながら悶々とした毎日を過ごしていた時があった。

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同期が次々と活躍している中、僕は1人取り残された。

『何で俺だけ…。』
『こんなはずじゃ、なかったのに…。』

常にイライラしていた。

そして、『自分は上司に嫌われているから、仕事ができないんだ。他のところへ行けば、必ず活躍できる。』

という自分勝手な論理を並べていた。

(仕事をする上で、態度や、愚痴はこぼさなかったハズだが、そんな考えを持ちながら仕事していたのは、間違いない。)


しかし、会社、組織に必要なことは、
『能力』だ。
上層部や、上司連中は、
『こいつは、ここならできるな。』
という、能力の部分に一番目がいく。

それがわかっていても、自分の求めるステージに行けなかったり、機会が与えられないと、その原因を上層部連中にぶつけてしまう。

かつて自分がそうだったように。

しかし、それは天にツバを吐くようなものだ。
愚痴っても何も変わらない。


その時に大切なコトは、
『自分自身の置かれている立場を冷静に客観的に見つめ直し、正当に評価するコト』だ

正当に、ということは、
自分の置かれている立場を、自分本位ではなく、組織の立ち位置で見つめ直すコトである。

『アイツはわかってない。』
『俺は努力したはずだ。』

という、自己評価ではなく、

『人事から見て、今の俺には何が足りないのか。』

『上司は今の自分に何を求めているのか』

冷静に、客観的に見つめ直さないといけない。

自分は、内定を得てこの会社に入れたのだから、会社から求められる一定の基準はクリアしているはずだ。

しかし、その能力を適切な場所で、適切な場面で発揮できなければ、意味がない。

その能力を磨いていくことでしか、
自分自身で道を切り開いていくことはできない。
理想の仕事を頂くことはできないのだ。


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会社にも慣れ、できなかったコトが少しづつできるようになった。

もっと高いステージを目指して、仕事に取り組み、一定の成果も出せた。
しかし、理想の仕事は頂けなかった。
他のライバルがその仕事についた。

『なんで、俺じゃないんだ。』

そんなコトは、社会人になれば、
しょっちゅうだ。

客観的にみれば、自分よりも、
短い時間で、成果を出し、
なおかつ経験もある中堅社員がいたとする。

自分の理想とする仕事に欠員がでた。
誰を応援に呼ぶか?

上司の立場からすれば、中堅社員を使うだろう。自分が同じ立場でもそうする。


そんな時に、
『アイツはわかってない。』
『オレは上司に嫌われている。』
と考えてはダメだ。

大切なコトは、そういった状況を直視せず、『オレは一生懸命やっているのに。』と勝手な自己判断を加えてしまうことだ。

そして最悪なコトは、
目の前の仕事に手を抜いてしまうことだ。

手を抜いてしまうと、次の仕事が落ちてくるはずがない。

確かに、単調なつまらない仕事ほど楽しいものはない。
僕自身、そういった思いを何度かしてきた。悔しい思いを何回もした。

しかし、今となっては、それが良かったとプラスに考えることができる。

メンドくさい仕事をするのは、誰だって嫌だ。

僕はその気持ちに共感する部分があるから、仕事を頼む時は、決して上から目線になることはない。

気持ちが沈んでいるな、という社員のサインも少しづつだが汲み取れるようになった。

そして、
『自分は好き嫌いで、仕事ぶりを評価することはないから。』と自信を持って言うことができる。

一番大切なコトは、
今、目の前の仕事にベストをつくせているかどうかだ。
ベストを尽くせていれば、気持ちは0になることはない。

今が一番キツいときなら、それから下はない。
後は上昇気流となって、ラクになるだけなのだから。


有るを尽くす



『努力』について、考えてみる。

努力って報われるのか。

僕は大学生まで、『努力』という言葉が
大好きな人間だった。

努力している人間は素晴らしい。
努力することは尊い。
努力できるヤツは特別。

そう思っていた。

自分も努力すればデキる!と強く思っていた。

努力は必ず報われる。
そう信じていた。
しかし、自分自身が望んだものが全て努力によって勝ち取れたか?
と問われれば、そうではない。
大学受験は、第一志望校に落ちたし、
就職試験でも、たくさんの会社に落ちた。第一志望志望の会社にも。

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そんな時、林修先生の言葉に出会い、
その考えを覆された。

“「努力は裏切らない」と言う言葉は不正確だ。
・「正しい場所」で、
・「正しい方向」で、
・「十分な量なされた努力」
は裏切らない。”


なるほどなあと。

大学時代、特に就職活動中は、自分のやりたいことなんて全くわからなかった。
業界研究とか、企業研究を自分なりにやっていたつもりだったが、今考えるとあまりにも稚拙だった。

しかし、今の会社から内定を頂くことができた。

努力は裏切らない、という言葉のもと、
とにかく動きまくった。とにかく人と会った。

あまりにも非効率的だったと反省しているが、当時はとにかく必死だったから、
効率とかを考える余裕なんてなかった。

非効率的に動きまくったおかげで、
会社を色々な視点でみることができた。

色んな人と会ったおかげで、面接では物怖じすることはなかった。

ただ、僕の受からなかった会社に内定を貰ったヤツもいた。

僕も、非効率的だったけど、誰よりも動いた自信がある。
だけど、内定を頂くことができなかった。

きっと自分には、適正のなかったトコロを受けていたのだと思う。

学生時代に不合格通知をだされた会社のことを社会人になって考えるけど、
今はむしろ『受からなくて良かった』とさえ思っている。

例え、内定を頂いていても、
苦しんだだろうな〜。ということが容易に想像できるからだ。

自分の特性を知り、受け入れることで、
自分の職業選択を一つ一つ削ってきた。


持って生まれた才能を変えることはできない。

僕はこの持っていない才能を、努力で0から生み出す、ということに美徳を感じていた。

しかし、これでは勝てないのだ。
自分の中に適正があり、なおかつ前向きは気持ちで取り組む者と、
自分の中に適正がなく(わかっておらず)、努力!我慢!という具体性に欠ける言葉を信じながらも、後ろめたい気持ちで取り組む者には、
スタートの時点から圧倒的な差がついている。

そして、スタートしても、前者は爆発的に伸び、前向きに取り組めるため、少々のことではへこたれない。
それに対し、後者は不安な気持ちを抱えながら、なおかつ、今にも辞めてしまいそうな危うさがある。

自分の適正を知ることは、自分自身を助けてくれるかとでもあるのだ。

何か成し遂げたいことがあるとすれば、

『正しい場所』
自分の理想を叶える職場、地位、目標があるか。

『正しい方向』
自分の特性、強み、人と比べ明らかにラクをしているのに、人よりも結果がだせるもの。

この2つが、現状整っているのか?
は何度でも考えていいと思う。

あとは、

『十分な量なされた努力』
を行うだけだ。

2つの条件が揃った上で、行う努力はそれほど苦行を伴わないと思う。

自分の中にこれだ!というものがはっきりして、それを発揮できる環境がある。
力がどんどんついていくのは、容易に想像できる。


しかし、2つの条件が揃わないと伸び悩むだろう。

僕は努力家だ、とは思わない。
しかし、自分の特性を見つけることは、
毎日繰り返している中で、少しづつだが、掴みかけてきたものもある。

あとは、正しい場所を自分自身の手でみつけるだけだ。

その環境を見つける手間は惜しまないようにしたい。


有るを尽くす

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『なんで、こんな時にトラブるのか?』そんな時こそ、自分の生活を見直してみませんか?

ミスってしまった。
予測もしないトラブルにあった。

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今回のミスだってそうだ。


ふとミスったことを考えて、反省する。
そうすると、一つ共通していることがあった。

ミスるとき、トラブルにあうときは、自分の生活がダラけている証拠。


自分のミスで一番多いのは、ケアレスミスだ。
誤字脱字、タスク忘れ、報告をやっていないなどなど…。

凄く簡単なこと(後から自分でみても、
なんでこんなミスをやったのか?と疑問符がつくくらい。)だが、実際にはやれてない。

そこで、誤字脱字をしないために、メールを送る際には、3回自分で書いた文を読んで、メールを送付する。
という、じぶんルールを作った。

そうすることで、誤字脱字も減った。

想定外のトラブルにあったときもそうだ。

一年会社に勤めて、自分の中にトラブル対処のストックが出来上がりつつある。
その引き出しから、最適な対処策を考えられるようになった。

しかし、それでも想定外のトラブルは起きる。

それなら、自分にとっての想定外を、
想定内に変えてしまえばいい。

想定内のトラブルに収めれば、
頭でわかっているから、体がついてくる。対処ができる。

想定外で、パニクってるときは、
頭が働いていないから、体も当然動かない。

自分ミスの傾向がわかれば、対策をとる。そういうサイクルが出来上がってくる。 

そうして、一つ一つ問題を解決できるようになる。

それが成長につながるのだ。

しかし、どうしてもトラブルは起きる。

トラブルを予測することは難しい。
しかし、振り返ると起こるべくして起きたトラブルもあった。

例えば、中央線、山手線の遅延。
中央線や、山手線がよく遅れるのは周知の事実。

それでも遅れてしまったというのは、
自分には、想像力不足がありません。
と言っているようなものだ。

遅延のための対応策を立てることができる、ということは普段から無意識でも、
素晴らしい行動ができている証拠だ。

ミスった時こそ、自分の生活を改めるチャンスだ。

自分と向き合い、さらに進化した自分となれるよう、努力を惜しまないようにしたい。


有るを尽くす


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