『やらせる』のではなく、 『興味を持たせる』ために必要なコト。
公文式で、3〜6歳児を教えている方とゴハンを食べている時、教育について話した。
どんな子供が伸びるの?
と質問すると、
『やっぱり素直な子供は伸びるよね。』
とのこと。
素直な子って、大人も、子供かかわらず、伸びる。
『なんでこれをやんないの!』
『これをやりなさい!』
と強く言ってしまうと、子供は興味をなくしてしまう。
(自分自身がそうだから、よくわかる)
僕は歴史が大好きだが、
両親から勉強をしなさい!
と強く言われたことは記憶にない。
部屋にあったマンガでわかる日本史を
毎日夜遅くまで見ていた。
だから、歴史のテストだけは、
常にクラスで1番だった。
学校では学ばない所、
戦国時代や、幕末、太平洋戦争のところは、小学生時代にほとんど覚えていた。
これは、誰に言われるでもなく、
自分自身で、勝手に、自発的に覚えたものだった。
『やらせる』という入り口ではなく、
『自分で興味を持った』ということが歴史が爆発的にできた要因だと思う。
興味をもつ➡︎好きになる➡︎結果がでる
➡︎さらに好きになる
というルーティンができれば、
勝手にデキるようになるのだ。
自分が歴史がデキるようになったもう一つの要因
自分自身が歴史に興味を持ち、
勝手に勉強をするようになり、
テストでもいい点がとれた。
そこから、マンガでわかる日本史を見る回数が飛躍的に増えた。
しかし、もう一つ僕が日本史をデキるようになれたのには、要因があると考える。
両親の存在だ。
僕は小学生時代から、算数に苦手意識があった。
普通の親であれば、
得意な歴史ばかりやらず、算数や他の教科もやりなさい。
と言う所だが、僕の両親は、算数をやりなさい、とは言わなかった。
むしろ、僕が新しい知識として得た歴史のことをドヤ顔で話していると、
面倒くさがらず、共感し、僕との会話を楽しんでくれた。
ここで、そんなこと勉強せずに、算数をやれ!と言われていれば、ここまで歴史が伸びることはなかった。
『やれ!』と一方的に言うのではなく、
あとは見守るだけ。
見守ることは、辛い。
ついつい、口を出したくなる。
『我慢する』ということが、教育には必要である。